基調講演

発達科学部の誕生と課題

神戸大学発達科学部長

土屋 基規



1.発達科学の現在

 みなさんおはようございます。今日は早朝から「発達科学シンポジウム」の企画に多くの方が参加くださいまして、本当にありがとうございます。
 4年前まで、私たちの学部は神戸大学の「教育学部」として、昭和24年から46年余歩んでまいりましたが、後で少し触れる事情から、「発達科学部」というあまりなじみのない名称に変わりまして、バス停も「教育学部前」というのがなくなり、「発達科学部前」となっているわけでありますが、新しい学部が発足して4年経ちますので、これからどんなことに焦点を当てて研究をし、教育していったらいいのか、みんなで確かめ合いたいという気持ちで、こういう企画をした次第であります。
 私たちの学部は1992年の10月に発達科学部になったわけですが、翌年の4月から280名学生を受け入れ、今年、1年生から4年生までそろいました。在学者を調べてみましたら、1114人の学生が在学しておりまして、1997年3月、初めての卒業生を世の中に送り出すことになっております。学生諸君も必死に就職活動とか、あるいは大学院への進学の準備に取り組んでおりまして、まだ最終的な結果が出ておりませんけれども、最初の学生を出すにあたって、かなり好成績になるのではないかという期待を持って、事態の推移を見守っているところです。
 この学生諸君の就職活動の中でも出てきたことですが、「発達科学部というのは何をするところですか?、と尋ねられて、なかなかその答えが難しかった。」ということを述べている人が少なくありません。ごく最近、神戸大学の最新の案内パンフレット、神戸大学案内が出て、これは大変カラフルで、しかも簡潔に見やすくなっていますが、その最初の方に発達科学部の一人の学生、生活環境論の田内君という4年生が登場してこんなふうに答えております。神戸大学には学部が10ほどありますけれども、「他の学部の人にも『発達科学部というのはどんな学部?』とよく尋ねられますが、一言ではなかなか言えません。何でもできる学部ですから、まず文系と理系の境界があまりなくて、カリキュラムに柔軟性があります。経済学もあれば、心理学もあるし、コンピュータなどもあって、学問の区別なく幅広く学べます。自分の興味のままに何でもやってみたいという人には最適の学部だと思います。」と語っています。  さて、私たちの学部は人間の発達を軸に科学的に研究するところだというわけですが、多分これを学生諸君に聞いたら、十人十色の答えが出てくるかもしれません。第一、教育を担当している私たちにも、「発達科学部の理念ってどういうことでか?」と改まって聞かれますと、なかなか難しいんですね。私もまだ簡潔な答えが出ないんですが、ある問題で、西塚学長と話をしていたときに、「発達科学部というのは教育学部とどう違うんですか?」と問われて、「こう違います」と明確に答えられなかった。それをずっと追い続けていかなければならないと思ってるわけですけれども、後でも少し触れますが、「発達科学部というのは何をするところか」という問に、みんなの共通理解を得るにはもっと時間が必要なのかなと思っております。
 発達科学部に「学生諸君は何をしたくて入ったのか」ということを少し調べてみたことがあります。私たちの学生委員会と就職・広報委員会とがこれまで4回ほど、発達科学部の学生生活調査を行いました。この10月に4回目をやりまして、まだそれは集約されていません。過去の1993年の10月からやったものをみますと、発達科学部に入ってきた学生の意識を、最初に少し紹介してみますと、1993年10月に入った最初の1年生、つまり今の4年生に「どうして受験したんですか?」と聞いたら、「学部の特色にひかれて入った」というのが45%ありました。それから「新学部の魅力」というのが19%、あとは「高校の時の試験の成績」というのが10%程ありました。その後1年経って、「満足していますか、あるいはどんな点に問題があると思いますか?」ということを聞いたら、「満足している」という学生は人間発達科学科と人間行動・表現学科の学生が多く、学生諸君の答で意外だったのは、「神戸大学だったら実はどの学部でもよかったんだ」というのが78%ありました。私たちも神戸大学の中の一員ですから、それでもいいんですけど、次に「特色にひかれた」という学生が多かったんですが、その特色というのをどれだけ打ち出しているかが一つの問題だと思います。1年経った段階で、「あまり満足していない」と答えた学生もおります。その理由は、「授業内容の選択の幅が非常にうすい」とか、「教師の授業の内容が浅い」とか、「食堂が汚いとか狭い」とかという答えが挙がっていました。「免許が取りにくい」というのもありました。これが2年生、3年生になっていくと、どういう変化をするかということを興味を持って見てたんですが、次々に入ってきた学生の中でやっぱり、「新しい学部の魅力にひかれた」というのが70%近くあるのです。この学生諸君に、「入ってから満足していますか?」と聞いてみますと、大体60%程度が「満足はしているけれども、まだまだ相当多く改善する余地がある」と言っております。

目次にもどる

2.教育学部改革の要因

 私たちは新しい学部を発足させたわけですけれども、46年余続いた教育学部を発達科学部に変えたのには、それなりのわけがあってそういうふうにしたわけでありす。それは今日、時間があまりありませんから、詳しい経過は申し上げることができませんけれども、大学の「自己評価」として『教育学部から発達科学部へ』という冊子にまとめてありますので、詳しいことはこれに譲ります。これは図書館でも公開しておりますから、どなたでも見れるようになっております。教育学部を改組した要因は、大きく申しますと、三つあったと言えると思います。
 一つの要因は、卒業生が教員に採用される率がものすごく低くなってしまったということです。1980(昭和55)年には、卒業生で教員になった率は何と73%あったんですが、それが5年後の1985(昭和60)年、ちょうど10年程前には50%を切って41%になってしまいました。そして今から6年前の1990(平成2)年には何と27%になってしまいまして、全国49の教員養成系大学・学部で最低ということになり、「教員養成学部の体(てい)をなしていない」と文部省から大変強くお叱りを受けたような事情もありました。教育学部時代の学生は教職以外のところへ、どんどんと進出しておりました。ちょうど1985(昭和60)年を境にして、教員になる者と、それ以外の企業や官庁、進学者との比率がが逆転してしまいました。1985(昭和60)年には、企業や官庁へ進んだ学生は40%おりましたけれども、1990(平成2)年以降はそれがついに60%に達し、そして現在は70%台という率に変わってきております。
 二つ目の要因は、学生諸君の中で教師になろうという気持ちで入ってくる人が減ってきたということでした。そこで、ちょうど10年前位から教育学部を卒業する学生諸君には、「4年間、教育学部で勉強してみて、今後学部はどんなふうにしたらいいと思うか。」というようなことを尋ねてみました。「教育学部なんだけれども、勉強する内容の中に、教職を志望しないような独自のカリキュラムを作ってほしい」という考え方を持っている人たちが、大体30%ないし35%というような率で出てまいりました。それから「今後、教育学部はどうあったらいいと思いますか。」ということを聞いたところ、「総合大学の教育学部として、つまり神戸大学の中の教育学部としてあってほしいけれども、教育と人間形成について研究するような学部に再編すべきだ」という考え方を持つ人がやはり30%から35%程おりました。「教師を育てるという仕事は大事だから、それをしながらも、教師を志望しない人も安心して勉強できるようなコースを作ってほしい」というのが約15%から20%程度おりました。そんな学生の気持ちなどを聞きながら、今後のあり方を検討していたとき、ちょうど、教養部を大きく改革するという動向と重なりまして、神戸大学の大学改革の中で、私たちは学部の名称を変え組織を再編成するということで、「発達科学部」という新しい学部が生まれたという経過をたどりました。
 突然生まれたような印象を持つ方も中にはいたかもしれませんが、全体として私たちは10年位の準備はしたつもりです。初めは「学部のカリキュラムを検討する」ということで、1983(昭和58)年の暮れから検討を開始しまして、それからその後、1987(昭和62)年の半ば以降は、「教師を育てる養成コース以外の新しいコースも作ろう」という検討もしてまいりましたけれども、やがて1991(平成3)年の春以降になりますと、「新しい学部にしよう」ということが、内外の事情の中から浮上してきて新学部の発足という方向にいったという次第なんです。では「何をしようと思って変えたのか、どんなことを実現しようと思って変えたのか」ということが問題ですが、私たちが新しい学部を設置するに当たって、基本的な考え方として据えましたことは、三つ程ありました。

目次にもどる

3.発達科学部の教育理念

 その一つは、人間の発達という問題を総合的に研究するようなものにしたい、ということでありました。人間は生まれてから死に至るまで、心や身体のいろんな面の機能等が成長・発達を遂げていくわけですし、生涯にわたって発達し続ける存在ですけれども、その人間が、乳幼児から高齢者に至るまでどんな発達の仕方をするのか、そしてその過程の中でどんな学習をし、教育活動をすることによって、身体の面、運動の面、知的な面、あるいは言葉、あるいは人格とか社会性とかの発達がどのようになるのかということを、理論的な面も、そして臨床的な面も、研究したいということでありました。
 二つ目には、私たち人間が生きていく上で、どうしてもいろいろな環境との関わりが欠かせないわけでありますけれども、環境と人間の関係、これを自然の面、生活の面、社会的な環境の面、あるいは最近著しい発達を遂げている人工的な情報環境の面などから、総合的に研究しようという考え方を持っておりました。人間は環境との関わりの中で、環境に働きかけ、環境を人間生活に有効に活用すると同時に、その過程で人間自身も変わるという関係が繰り返されているわけでありますから、自然環境との関係だけではなくて、物質的に豊かになった生活の中で生活様式も変わるわけですから、そういう社会関係とか生活様式の変化への対応をどうするかということなども、きちんと研究したいという考え方を持っておりました。
 それから三つ目には、人間は発達を遂げる中で、人間の外にあるものとの感情の交わりとか、あるいは心の中に起こった変化を表現するという独特の活動をしておりますので、人間の行動・表現を、言葉によらないもの、身体行動による表現、さらに芸術的な表現によって活発に外界と反応いたしますので、人間の文化的・芸術的な表現活動、身体行動の技術・技能ということも含めて研究をしたい、と考えていたわけです。
 私たちの学部を受験してくれる学生諸君が、「新学部の魅力」とか、「新学部の良さ」というものをどうとらえているかということが、私たちが初めにめざしたところと符合しているかどうかということは、自己点検してみなくてはいけないことだろうと思います。そこで、来年はじめての卒業生が出るときに、「4年間この学部で勉強し、どうでしたか?」ということを学生委員会が中心になって尋ねてみて、私たちの反省の材料にしようと計画しているところです。

目次にもどる

4.発達科学部発足後の教育研究活動

 発達科学部が発足してから4年が経ちました。この4年の間に先生方は大変だったと思います。というのは教育学部の学生はまだおりますので、その教育にあたらなければなりません。発達科学部が発足し、その理念の実現をめざし、卒業生の進路を開拓しなくてはならない。そしてさらに大学院も作らなくてはいけない。こういう事情の中で、かなり大きな負担を背負いながら、事務職員ともに懸命にやってまいりました。
 少し調べてみますと、この4年間に私たちの学部には118人の先生がおり、附属学校園には約120人ほどおりますが、学部の先生だけが1992年から1995年度までの4年間に書いた本は、226冊ということになっております。それから、訳した本は7冊。学術論文は684本、ということになっております。なお芸術家もおりますので、芸術的作品などが43点。数字だけで業績を単純に評価するわけにはまいりませんけれども、新しい学部の教育・研究のねらいに即して、私どもが努力してきた一つの証しといえるのではないかと思います。この点では私は非常に感心していることがいくつかあります。私たちの学部には3学科と12講座がありますが、この4年間に各講座で新しい教育・研究の努力が重ねられ、講座レベルで新しい授業科目に添ったテキストを作るという活動が活発になってまいりました。少しだけ例をあますと、社会環境論講座の先生方8人が共同で、『人間発達と社会環境』(労働旬報社、1994年)という本を出しました。これは、現代の日本社会が豊かになった中で、国民生活がどうなっているか、その豊かな社会の労働環境はどうなっているか、都市環境がどうなっているか、学習環境がどうなっているか。そして世界の中の日本はどういう位置にあるか、というような社会環境論の諸問題についての概論にあたるテキストです。それだけではありません。もう一つ紹介いたしますと、生活環境論講座では、非常勤の先生も含めて、『やさしい生活環境をめざして』(ナカニシヤ、1993年)という本をいち早く作りました。これは、生活環境概論です。これを見てますと、人間にとって植物環境はどういう意味があるかとか、あるいは水と人間の関係、衣・食・住、光の環境はどうなっているかとか、あるいはエネルギーはどうだとか、コンピュータはどうとか、まさに生活環境論らしい、新しい授業科目にそうテキストを作っております。
 それから先ほど申したことから言いますと、講座レベルでは本のような形にはなっておりませんけれども、いろんなセミナーを開いて、学生諸君ともども自分達の新しい研究のあり方というのを探ってまいりました。一番系統的にやっているのではないかと思うのは自然環境論です。自然環境論の研究会というのが、1994年の5月に発足しまして、私が調べた限りでは、それ以降1995年の5月までに16回程自然環境セミナーを行っております。これは二つありまして、いろんなところで先端的な研究に携わっている人を学外からお招きして、「自然環境論先端セミナー」を開催する。それと同時に学生諸君のカリキュラムの一環に位置づけて、自然環境論コースの学生に、他の大学や研究所の方も含めて、「基礎セミナー」という形でこれを展開するということをやってまいりました。大変国際的な視野をもって、例えばウズベク共和国の先生を呼ぶとか、あるいはアメリカのデラウェア大学のバートル研究所の方を呼んで開催するとか、国際色豊かにこの研究会はやっています。それだけではなく、数理・情報環境論講座もセミナーを数回やってまいりましたし、人間科学研究センターも「人間にとっての最適な環境とは何か」という公開シンポジウムを企画して人間科学の研究を見直す機会を持ってまいりました。また、「初等教育シンポジウム」も開催されています。
 このような講座レベルの研究の他に、新しい授業科目に対応する研究成果も生まれています。これは先ほど紹介した226点の本の中で、目についたものを恣意的に紹介するにすぎませんが、先ほど身体的な表現に少しふれましたが、柴先生というダンスの先生がいち早く『身体表現』(東京書籍、1993年)という本を書きました。身体の感じ方、身体による表現、こういうことを研究の対象として、研究成果を発表しているわけです。それからまた、最近ですと、新しい学部でジェンダー文化の授業、教育・研究をする先生がいるんですが、朴木先生はこの9月『ジェンダー文化と学習』(明治図書、1996年)という本を、出版しております。同じ講座の末本先生も『生涯学習論』(エイデル研究所、1996年)という成人学習論の教育・研究にそう本を出しました。こういう形で一生懸命、個人レベルでも学部の教育理念の具体化をはかる努力がみられます。

目次にもどる

5.発達科学研究の課題

 さてそこで、これから「発達科学研究」を進めていく上で、どういう課題を設定したらよいのか、今のところ「何を課題にするかということが課題だ」という状態ではないかと思うところがあります。これについては、昨年の地震後、「発達科学研究のあり方に関する検討委員会」を設けて検討することをお願い致しまして、二宮先生に中心になって報告をまとめてもらいました。その中にもいくつか課題の提示あるんですが、「発達」という概念は国連レベルで言うと、1990年に「Humman Development Report」というのが出ていて、大変、今はやりのキーワードの一つになっているわけですが、意味は大変多義的なんですね。「発達」というふうに訳す他に、「開発」とも訳しますし、あるいは「進化」という意味でも用いられるわけです。少なくとも「Humman Deveropment 」と言う場合には、もうこれは人間の「発達」、心や身体の面の「発達」を中心にして、人間の「発達」という概念が内包するところは多義的でありながら、その概念が含む意味内容は人間の多面的な発達にある、ということになってきていると思うわけです。
 この委員会で1年間ほど検討して、報告を出してもらいました。その中に示されていることは、今なお追求しなければならないことだと思いますので、ごく簡単に紹介してみますと、人間の発達を研究するときに、三重の意味でスパンを考えなくてはならない。一つは人間の発達を一生涯にわたって、つまり「ライフサイクルの視点から研究する」ということが必要だ。二つ目は人間の発達を「歴史的な視点から、あるいは世界史的な視点から進める」ということ、さらに人間と自然との関係等を視野に入れた「人類史的な視点から研究する」、こういうことが人間の発達を研究するときに必要だという考え方が出されております。それからまた、もう一つは発達を遂げる主体、これは乳幼児から高齢者に至るまでということになるわけですが、その発達の主体を多元的に捉え、従来の教育学部は「学校に通う子ども」が中心だったわけですが、今度は発達を遂げる主体は、「子どもから高齢者に至るまで」、いわば世代間の階層を含む。あるいは先ほど言いましたようなジェンダーという視点を含むとか、あるいはエコロジーの視点を含むとか、「発達を遂げる主体を多元的に捉える」ということが必要になってくる、ということです。
 こうなりますと、諸科学の交流・協力を促すということになるのではないか。それから最後に、発達を担うこの「場」、あるいは「環境」、こういう視点を発達科学を前進させるときに重視する必要があるのではないだろうか。従来の教育学部は、家庭・学校・地域ということを問題にしていて、それは当然今後引き継がれますが、家庭や地域、学校だけで人間が発達すると捉えるのではなくて、働く場、あるいは生活をする場、社会の中での生活や社会環境の中から、そしてまた同時に、自然環境がそうですし、人工的に作られるような情報とか、水とか音とか光とか、そういうふうな範囲まで環境を広げながら、人間の発達と係わる環境との相互関係にもっと切り込んでいく必要があるのではないだろうかと、こういうことが出てまいりました。
 今回「発達科学シンポジウム」を開きましたのは、私たちが今後研究をしていく場合に、やはり「個人のレベルでやらなければならないこと」、「講座レベルで切り開なければならないこと」、そして「学部全体のレベルでとりくむべきこと」との、三つのレベルで教育・研究を追求していく必要があるのではないだろうか、学部全体のレベルでとりくむ課題について考え合いたいと思ったからです。その際、発達科学部というのは、学部だけではなくて、1997(平成9)年の4月からは総合人間科学研究科を設置する計画がありますので、そこで「人間についての研究をどのように総合化できるか」ということが課題になると思います。また、学部だけではなくて、6つの附属学校園を持っておりますので、発達科学研究に附属学校園が、従来、教育実習校として果たしてきた役割とは別の意味で、実験研究的なフィールドとしての役割が担えるようなになるといいのではないかと考えています。さらに、私たちの学部には人間科学研究センターがありますので、これが中核的な役割を担って、発達科学の共同研究のプロジェクトを作るとか、他の大学との研究交流を進めるとか、地域社会との連係を進めるとかということができるようになるといいのではないだろうか、と思います。
 最後に、もう一つの問題に触れて終わりにします。それは、このような教育・研究を進めていく上での条件整備が一つの課題になっているということです。この点については、新しい学部が発足したときに、神大教職員組合の発達科学部支部が、「発達科学部の課題と展望」というアンケート調査をしたことがあります。ここでは「研究条件の点で、研究費が足らないから2倍ぐらいにしてほしい」とか、あるいは「研究時間が不足しているから、そして教育負担が二学部並列でやっているから、これを何とか解決してほしい」という、悲鳴にも近いような重い課題を提出しておりました。教育条件で言うと、設備が貧困だし、担当する講義が多くて、多い人は13コマもやっていて、こういう重い教育負担の中で、「結局これはスタッフが不足しているからだ」という指摘もありました。そして「『発達科学』と言っているわけだけれども、その理念が不明確だから、そこをもっときちんとするような努力をしなくてはいけない」という意見も出ていました。また、「新しい学部に切り替えたわけだから、博士課程までの大学院を作らなければ意味がない」という意見もありました。今後、私たちは「発達科学」の教育・研究ということで、プロジェクトを設定したり、その財政的な基盤を確立していくことが重要な課題になっていると思います。学部と附属学校園との関係だけではなくて、もっと地域社会の教育・福祉・医療等の諸機関との交流・連携を深めていくべきだと思います。今日幸いにもWHOの神戸センターのスタッフにご参加いただけることは、こういう構想の一つの具体化だと喜んでいる次第です。施設・設備の点ではインターネットとか、あるいは学長のご 努力によるCD-ROMの配備等が進んでいますので、3年前とはかなり条件が違っていると思いますが、何と言ってもやはり「発達科学」というものの内容、それをどう創るかという点において、私たちが、学生諸君と共に大きな努力をしなければならないという課題が残っていると思います。
 大変舌足らずになってしまいましたが、発達科学部が「こんなふうに育って欲しい、こんなふうに力をつけてほしい」というご注文を、内外からたくさんいただいて、しっかりした自立できる学部として、神戸大学の中の一学部として、がんばっていきたいと思っているところです。どうぞよろしくお願いいたします。

目次にもどる


発達科学シンポジウム
『調和ある発達を求めて−発達科学の創造と未来』
1996年10月26日  於:発達科学部学舎

発達科学シンポジウム実行委員会
神戸大学発達科学部