趣旨説明 蛯名 邦禎(企画提案者代表)

 総合型学部が本当に期待されているのか。その社会的な役割は何か。総合型学部に対する種々の批判にどのように答えることが可能か。

 原点に立ち返ってその必要性を検証するとともに,現状を踏まえた建設的な方策をさぐる。

蛯名先生の写真

 蛯名 邦禎
  神戸大学発達科学部
  人間環境科学科
  自然環境論講座
  主専門分野:物理学

蛯 名  企画提案者を代表いたしまして、ちょっと趣旨説明をさせていただきます。自然環境論講座の蛯名と申します。

 今回のワークショップなんですが、実は、昨年、発達科学シンポジウムというのが、学部の主催で研究推進委員会が中心になって開かれました。学部設立後4年たって、まあとにかく今までは走り過ぎてきたので、これからどうしていくかという時期にちょうどなっていると思います。そのシンポジウムで、私自身パネリストでしゃべるという機会があって、そういう問題を考えるきっかけとなりました。そういうこともあって、こういう問題に少し足を踏み入れました。

 今年度、研究推進委員会で、その後続の行事をするというお話があって、テーマの公募がありました。それで、私はこのテーマ、「文系・理系共存型学部・・・」でワークショップを提案させていただきました。結局、そういうシンポジウム自身はなくなって、小さなワークショップをいくつか開くということになったんですが、最終的に、ほかの企画が全部なくなってしまいまして、これ1つということになったといういきさつがあります。

 それで、企画者の立場として、こういう問題を取り上げた理由を少しお話ししたいと思います。1991 年に大学設置基準の大綱化というのが決まって、それで、今まで文部省が事細かく「こういう基準でないと大学を作ってはいかん」と言っていたのが、大学が独自性を発揮できるということになり、全国的に新しい学部ができたり、いろいろ動きがあったわけですね。神戸大学では、その先頭をきって、教育学部の改組、教養部の改組を行い、発達科学部と国際文化学部ができました。

 そういう過程で皆さんそれぞれいろんなことを考えて進んできたわけですが、その間というのはともかく走ってきた。文部省向きに書類を書いたり、機関として立ち上げるための努力をしてきたわけです。しかし、時間がたって、本当にこの中身をどうしていくかということを真剣に考えるべき時期になって来たと思います。そこで、そういう立場で考えてみますと、現在という時点は、世の中の動きとか歴史の中での現時点というものを考えると、非常に大きな変動の中にあるのではないかという感じがいたします。単に外面的な制度を作ったり壊したりするというところにとどまるべきではないんじゃないか。単なる作文などではなくて、本当に何かここで新しいことをやっていくときではないか、というような感を強く持つわけです。

 私自身の個人的な経歴で言いますと、1992年に新学部ができて、こちらに教養部からやって来た機会にいろんな問題を考えさせられ、それから、そのあと、大学の情報ネットワークの関係で、各学部にいろんな考えをもった人がいるということをいろいろ見たりして、それから、震災のときのいろいろな動きを経験をして、大学というのは、何かもっと役割を果たすべきなのにあまり果たしてないのではないかという感じを強く持ってきました。じゃあ、一体何をしたらいいのかということを考えたい。

 大局的な、例えば日本の中でも今、いろんな動きがあります。例えば、経済でも1980年代の日本型モデルというのが、もうそのままでは通用しないということが非常にはっきりしてきたとか、そういう経済、社会、あるいは政治などの問題があるし、あるいは、もっと長いスパン、100年、200年のスパンでいくと、産業化社会から情報化社会とか、自然科学にもとづく技術の発展とか、そういう流れもあるだろうし、もっと長いスパンで見ると、1000年、2000年というタイムスパンで、新しい1000年紀というのに入ろうとしているわけですけども、そういう大きな流れで見ても、何かターニングポイントのように見える。あるいは、もっと長いタイムスパンで見てですね、地球の46億年というか、そういうタイムスパンで見て、生物進化の果てに人間のような脳を持った生物が出てきて、そこで何かをやらかしているというスケールで見ても、何か新しい事態が起こりはじめたというのか、肯定的にとらえるべきか、否定的にとらえるべきかは問題ですが、少なくとも、そういうことが、もう何百万年か前から徐々に起こっているわけですが、そういう歴史を明確に意識しだしたのは、わりと最近ではないかというふうに思います。

 そういう眼で見て、こういう新しい組織の中で何をすべきかということを考えると、とにかく実質的に何かしないといけないのではないかと思うのです。例えば、政府、行政の「改革」の動きを外から見ていますと、結局は、組織を存続するためにいろいろアイデアを出してやっているというふうにしか見えないわけですね。しかし、わが身を振り返ってみると、大学がやってることも結局はそれと大同小異であって、本当に何かを生み出そうとしているんではなくて、単なる、予算がくるようにいろいろしてるだけではないかというような感じもするのです。先ほど言ったような大きな流れで見ると、それは余りにも惜しい。こういう歴史の中で今こそ何か役割を果していくべきなのではないかと思うわけで、じゃあ、そこで実質的に何をしたらいいのかということ、そういう問題を、ひとつづついろんなテーマを取り上げて、こういうところでオープンに議論していくことがとても大事ではないかと思います。

 きょうのテーマである、文系・理系共存型学部ということに関して、先ほど、平川先生のお話にもありましたように、今、世の中では、文理共存とか、文理融合とか、それをもてはやす声が結構大きいわけですね。文科系と理科系の融合ということをキャッチフレーズにしたいろんな動きが、世の中であれこれあります。しかし、本当にそこでは実りあることが行われているかという疑問、あるいはもっと、実はこれは非常に困難なことだっていうことが必ずしも自覚されていないのではないかという感じもします。4年間、こういう学部でやってきてみると、それはいかにむずかしくて困難であるかということをひしひしと感じるわけで、そういう現実の困難さということをちゃんと視野に入れた上でいろいろ新しい動きをしないと、それは単なるかけ声で終わってしまうおそれがあります。それで、今回、特にその問題を取り上げまして、テーマの趣旨というところに書きましたように、本当に、世間では、口の上ではもてはやされているんだけれども、本当に総合型学部というのは存在する意義があるのだろうか。批判的な考え方も逆にいろいろあり得るわけで、そういうものに答えきるようなことができるのだろうか。ということを少し考えてみたい。

 特に大学というのは、専門教育、それもかなり高度の専門教育をやる場だというふうに考えたときに、カルチャーセンターで文理両方のことをやるというのは、いとも容易にできるかもしれませんが、高度な専門家を養成するという場面において、大学というのは、何らかのディシプリンを身につけて専門家として独り立ちしていく人間を育てるという場所において、そういう本当に文理共存で総合的な学部というのは必要なのかどうかということを、もう1回よく考えて、もしそれが本当に期待されるものならば、どういうところが期待されて、どういうふうに困難を打ち破っていかなければいけないのか、ということをもう少しまじめに考えてみようということです。

 それで、目的として企画書の(a)〜(d)というところにあげたんですけれども、1つは、文科系と理科系の共同研究ということへの期待というのがあります。それをする場としての混合型学部。しかし、共同研究というだけであればこういう機関を作る必要はなくて、たとえば、理学部の人と文学部の人が共同研究すればいいわけですから、こういう学部を作った意義というのは、そこに学生が育つということで、教育の中で、どういうふうにそれをやっていくかという問題。その中で当然、困難が生じるだろうから、そういう困難をどうやって克服していけばいいだろうか。それは、また、現実の制度の中でやっていかなければならないので、制度的にそれをどういうふうにサポートしていくことが可能かと、そういうようなテーマを特に掘り下げて考えたい。

 ということで、そういう側面でお話ししていただけそうな先生方に依頼しまして、これから4つの講演をお願いすることにしています。そのあと、後半のディスカッションに時間をたっぷりとってあります。それで、講演時間も短いので、前半の講演のときは、特に重要だと思われる以外は質問はちょっとあとに回していただいて、後半のディスカッションのところで活発な討論、議論をしていただければというふうに思っています。それじゃあ、あと、先生方、よろしくお願いいたします。

平 川  どうもありがとうございました。それでは、講演に入りたいと思います。まず第1の講演です。伊東敬祐先生、よろしくお願いします。


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