講 演1 伊東 敬祐 先生

 自然科学と人間科学との真の融合という夢物語を話すつもりでしたが、それではあまりに現実離れで無責任かなと思い出しています。真の融合とは思わないけど、現に今進行している境界領域での自然科学の人間科学化の方にむしろ焦点をあわせようかとも思っております。環境科学、災害科学です。期待される人間像という意味ではその方が趣旨に沿っているとは思います。

 伊東 敬祐
  神戸大学理学部
  地球惑星科学科
  主専門分野:非線形科学

伊 東  理学部の伊東でございます。

 蛯名先生から声をかけられて気楽に引き受けてしまったのですけれども、だんだん近づいてくるに従って問題のむずかしさがひしひしとわかってきて、引き締まる感じでおります。

 なぜ私が声をかけられたかと自分で考えてみますと、私、理学部におりますけれども、例えば、集中講義の先生に、社会学の先生だとか、哲学者だとか、精神医学者だとか、そういう理学からはずれた人を呼んだりして、そういうことに自分自身興味もあるし、よく「お前、教養部の先生になればよかったのにな」と言われるんです。私自身は理系の枠からはみ出したことはないんですけれども、学部は工学部を出まして、それから、理学部で地質学というところに入って、そこで、野外調査という研究手法を学びました。学位をとったあとは今度は実験科学に移りまして、高圧実験ということをやって、そこで腕を持った職人としてアメリカやフランスを2年ごとに渡り歩いて、日本に帰ってきてみたらば、定年まで身分が保障されているんですね。こんないいところない、好き勝手なことやろうじゃないか、ということで実験やめて理論的なことをやりだした。そのうちにまた理論にもちょっと飽きて、また実験したくなったんですけど、もとの地球の実験をする気はなくて、おもしろいんだけれども、成果が出そうにもないので、やばいという実験をやろうと思って、生命の起源、それから、遺伝暗号の起源、そういうようなことの実験を始めました。案の定、ちゃんとした成果が出ないままに何年かそれで過ごしました。それからまた、計算機実験のほうを目指しまして、非線形系科学、カオスだとかフラクタルとか、それから、最近、少しはやってきている複雑系の科学、そういったようなものを現在やっているわけです。

 本題に入りますけれども、理系と文系、どうしてこう人間て2つに分けたがるんでしょうね。男と女、これはまあしょうがないにしても、しかし、男性的と女性的というふうに分けるとすれば、その中間的なものがありますね。それから、善と悪だとか、真と偽だとか、そういったものを必ず2つに分けるんだけれども、必ずその中間、あいまいなものがあるはずです。そういったあいまいなものを自然科学の中に入れていこうと、そういうふうに今、思って試みているわけです。理系だとか、それから、文系。高校のときから理系のクラスとか文系のクラスとか、そう分けられるけれども、そのときに考えている理系とか文系とかいうのは、数学ができるから理系だ、できないから文系だとか、その程度の非常に怪しげなもので、自分自身、そういった制度があって、外から押しつけられて、それに何となく、あんまり疑問もなく、自分自身で「俺は理系だ」とか「俺は文系だ」という形を自分で作っちゃっている。だけど、本当はそんな枠なんてないだろうと思います。

 もちろん、すべての人間が同じような性質を持っているとは私は全然思っておりません。例えば、私にはとっても及びつかないような、そういった芸術才能を持っている人がいますし、それからまた、逆に、私には考えもつかないようなものの考え方、ひらめき、そういったものを持っている数学者がいる。そういう人は本当にもう、天分であって、生まれつきそういった性質を持っているに違いない。だけども、多くの人間にとっては、そういうものは生まれたあとでだんだんだんだん、自分が作るか、または、外から押しつけられて作られているんじゃないかというふうに思います。

 その証拠に、自然科学とか、人文科学、社会科学という言葉をあわせて「人間科学」というふうに1つの枠で、私、これから言いますけれども、そういった区分は昔はなかったわけです。17世紀ごろまでは、例えば、ゲーテなんていう人は、文豪であり、かつ偉大な自然科学者であり、かつまた政治家でもあったわけですね。それがニュートン力学というようなものが生まれたちょうどそのころから、社会というものの中に、そういった区分が生まれるようになった。それまでは、ある意味で貴族の趣味、アマチュアとしてなされていた自然科学が職業としてなされ、職業的な研究者というものが生まれてきだした。それまでは、ですから、貴族が豊かな家庭の中で教養として、哲学だとか、文学だとかをたしなんで、その人たちが結果として、何かの拍子に自然科学に進んでいくというような形であって、そこのところに何も枠はなかった。それがだんだん専門的な職業となり、それから、そういった専門家を育てる学校というものが生まれたことによって、自然科学と、それから、人間科学というような枠が出てきたと思います。

 そのように19世紀ごろになって完全に、自然科学と、それから、人間科学との分離が進んだわけですけれども。その時代でもやっぱり、古い時代の学校、日本で言えば戦前の旧制高校ですね。自然科学者になる前の旧制高校時代に、哲学を語ったり、文学を語ったりする青年時代が必ずあって、そういった教養を身につけた上で自然科学をやっていた。だから、昔の自然科学者は、現在みたいに専門的に狭くなっていなくて、ある意味で文系的なセンスを持った人たちが多かったわけです。それの残りが、戦後でも教養学部という形で残っていて教養課程で、自然科学に進む人も、文系のそういった教養を身につけるという時代があったわけです。

 ただ、自然科学と人間科学というふうに分けて言いましたけれども、何が基本的に違うのかと言えば、自然科学というのは客観性を尊びます。ですから、主観をできるだけ排除して、何か絶対的な目でもってある状態を定量化し、その状態に対して、それが時間変化する規則というものを方程式のような形でもって書き下していって、ニュートン力学のように、初期状態が決まれば未来が完全にわかるというような形の決定論的なものの見方をする。しかし、そこのところで主観が入らざるをえないような対象というものが当然あるわけで、だけれども、これまでの自然科学は、そういうものは排除する形で、そういう怪しげな、あいまいなものを排除する形でもってものすごい勢いで進歩して、偉大な技術を生み、偉大な進展をしてきたわけです。

 それから、一方で、人間科学のほうは、当然のことながら、対象の中にその観察者が入り込んで、中からものを見て、語るという、そういった姿勢が要求されるわけです。ですから、そこのところでは、その対象の中に入ったときに、そこにはどうしたってその対象を記述するときに、観察者の主観が入って、その主観によって対象の状態というものが変わってこざるを得ない。そういったものは、自然科学の手法、外から見てその状態を決定するという手法のとは相いれなかったから、自然科学はそういう対象は排除した。そういう対象を、自然科学的な手法で、研究しようというよりも、むしろ排除してきたわけです。

 そういうような動きに対して、やっぱり不満があるわけで、そういう不満が吐き出してきたのが1960年代だと思います。自然科学の中にも、対象の中に入ってものを見ようとする動き、それの典型的なものが霊長類学だと思いますけれども、対象の中に一緒に入って、一緒に住んで、相手のサルを観察して、そのサルの社会の中にあるいろんな規則的なものを、自然科学的な手法でもって、だけれども、内側から見てやっていこう、そういう学問分野が出てきだしたし、それからまた、逆に、人間科学の側で自然科学的な手法を取り入れる分野が出てきた。古くは、経済学だと思いますけれども、この場合は、かなりおかしな取り入れ方があって、経済から人間が抜け落ちる結果になってしまった。それよりも、心理学が自然科学的な手法を取り入れることによって、名前が認知科学となった。こちらの方が、人間科学の自然科学化の好例と言えるでしょう。そういった形でもって、自然科学の中に内側からものを見る考え方、それから、人間科学の中に外側からものを見る考え方が、1960年代ごろから生まれてきたと思います。

 ちょうどそのころから、学際領域だとか、それから、総合科学とかいった言葉がもてはやされるようになって、大学の中なんかでも、人間科学科とか、総合科学を旗印に掲げる学部、学科、ができてきた時代です。ちょうど1960年代というと、その後半に大学紛争が世界的に起こって、ものの見方というものが問い直された時代であり、同時に、自然科学と人間科学の枠組といった科学のあり方が問い直された時代でもあったと思います。

 だけれども、自然科学と人間科学の研究手法を融合するような試みが行われたのはやっぱり、境界領域、つまり自然科学が対象とする領域と、それから、人間科学が対象とする領域と、その両方を含んでる学問区領域に限られていたと思います。その典型的なのは環境科学でしょう。自然も相手にするし、それから、そこに住んでいる人間も相手にせざるを得ない、そういうような領域では確かに、自然科学であるのに内から見る、人間科学であるのに外から見る、そういったような新しい手法をとる学際的科学が生まれた。だけど、それの外側には、非常に典型的な自然科学、人間なんか含まない単純なものを対象にしている自然科学。それから、逆に、本当に人間の心を相手にしているような人間科学。そこのところでの離反は、むしろ1960年代以降でも、ますます隔離が進んでいると思います。それぞれの分野での専門化はますます進み、そんな分野では、学際的手法や教育といった怪しげなものを取り入れたらば、専門家として大成できないぞという、総合科学へのためらいというような雰囲気が、外側ではどうしても生まれてきたと思います。

 そんな雰囲気の中で、総合科学の看板を実のあるものにするには、どうしたら良いか。一つの道は、環境科学のように社会が確実に要求しており、しかも、学問の性格としても、自然科学と人間科学とが融合せざるを得ないような領域での教育、研究を中心にすえるのも、一つの道だと思います。しかし、この発達科学部にしても、全く新しくできたわけではないですから、そういう学際的な領域だけで組織が成り立っているわけではなく、学際をはみ出たいろんな分野を含んできていると思います。そういうところで、どうしたら良いのか、が今日の問題なのだとは思いますが、私は第三者の立場を許して頂くことにして、無責任に私の夢を話させて貰います。

 私がここでお話ししたいのは、私が持っている夢のような2つの科学の融合の話です。最近、複雑系というのがブームになっています。本屋に行くと「複雑系」という名前がついた本が平積みされて、いろいろたくさんある。それはどういう分野かと言えば、さっき言った自然科学の領域の中で、どうしても主観が入る領域、対象の中に入っていって物事を見ていかなければいけないような複雑なものを相手にして、今までの自然科学が、排除していたような領域をやらざるを得なくなってきた。それからまた、人間科学の中でも、例えば経済学のように自然科学的な手法を取り入れて、人間を非常に合理的な判断をする機械、ロボットのように見立てて、そこで経済変動とかそういったものを計算する手法を用いたけれども、それが役立たないということが余りにもはっきりしてきて、自然科学的な手法を取り入れた経済学の中に、やっぱり人間的なものを取り入れざるを得ないというような反省が生まれた。そういったような流れが複雑系という形でもって表に出てきた。ある人たちは、それは「21世紀の科学だ」というような大げさなことを言います。現在の複雑系のアプローチ、方法論では、そこまでいくとは思いませんけれども、その中から、自然科学と人間科学とを融合するような道が開けてくるんじゃないかと、私は楽観的に考えています。

 人間を対象にしながら、かつ、自然科学的な手法をかなり取り入れれている経済学を例にとるのが一番わかりやいと思います。経済学の場合には、観察している研究者が、観察の対象としている人間社会の一部、同時に一部であるわけですね。ですから、どうしたって、自然科学者が無機的な世界を見ているように、外側から絶対的な観察者として見ることはできなくて、観察者が中に入っている。例えば、株価の変動を記述できるような理論がわかったとしたらば、それがわかった途端に、株をどういうふうに買うかという人間の行為が変わってしまう。つまり、観察した瞬間に、観察の対象の状態が変わってしまうわけですから、そこのところでは、その観察の対象の状態というものを、これまでの自然科学がやってきたように、絶対的なものとして記述することはできない。状態を記述した途端に、その状態が変わって、その状態を変えるルールも変わってしまうというパラドックスを、どうしてもその中に含んでいるわけです。そういったものをどういうふうに扱っていったらいいのかということが経済学の中で問題になってくるわけです。

 私は、それは何も人間が対象の人間科学に限ったことではなくて、自然科学がこれまで非常に単純なものだと考えていた分子や原子の運動そのものも、分子同士がお互いに、我々人間が相手を観察しているのと同じように、観察しあって動いていると思います。今までは、分子同士の観察の仕方を相互作用という形でもって、絶対的なルールのようなものとして決めていましたけれども。実際のところ本当は、分子同士が人間と同じように観察しあいながら、お互いに、相手の相互作用を感知した途端に、相手もまた自分からの相互作用でもって変わってしまう。本当の意味では、分子の状態とか原子の状態とかいうことも、あいまいさが伴っている。それがもう少し人間に近づいてくると生物ですね。生物の場合には、あんまり擬人化するのはよくないかもしれないけれども、無機的な原子や分子なんかに比べて、生物の体の中でいろんな組織が動いている。脳がニューロンのいろんな働きでもって動いているといったって、ニューロンの動きでもって人間の心が完全に理解できるわけではないということもわかっている。

 そういうように対象を内側からものを見るといった途端に、今まで自然科学が武器にしていた、状態の確固とした決定ということができなくなってしまう。だけれども、決定できないからといって、物語のような形で、こうなったらこうなりましたというような形でもって、変化をただ記述するだけでは、自然科学としては成り立たない。自然科学である以上は、やっぱりある程度の予測ができて、あいまいさを含みながらも予測ができるような形の規則性というものがなけりゃいけない。そういうものをどうやって見出したらいいかということで、私たちは今、手さぐりをしているわけです。

 具体的な話は別にして、例えば数学というのは、全く客観的な研究の典型のように考えられていますけれども、数学の中に「私」、「自分」、「主観」を入れるような数学を作ろうじゃないかというようなことを考えている数学者が出てきているようです。例えば数学の中でブール論理という、真と偽とに2つの状態でもって論理を組み立てていく論理があります。この場合に、例えば「赤い太陽」という記述と、「赤い赤い太陽」という記述とは、ブール論理の数学では同じだとします。同じとしなければそのあとのいろんな論理演算が続いていかない。だけれども、明らかに私たちが「赤い太陽」と言うときと、「赤い赤い太陽」と言うときとでは、歌や文学の中で語られる例を見ればわかるように、違いますね。ニュアンスが違う。その違いを数学の中にどのように取り入れるのかというようなことが要求されているわけです。その「赤い太陽」と「赤い赤い太陽」との違いを入れた途端に、現在の数学的な論理体系は崩れてしまうわけですけれども、じゃあ一体、そうやって崩したあとにどんなものが生まれるか。それは今のところわかりません。だけども、例えば、非ユークリッド幾何学がわかる前は、我々はギリシャ時代にわかったユークリッド幾何学でもっていろんな形とかそういうものを記述して、それ以外の非ユークリッド幾何学なんてものは、あることを知らなかった。だけども、非ユークリッド幾何学が発明されたことによって、そのあと、相対論とか、そういったようなものが生まれて、宇宙を見る見方が全くがらっと変わったわけです。ですから、「赤い太陽」と「赤い赤い太陽」とは違うという、そういった前提に立った数学が生まれたっていいじゃないか。そういうふうに思います。

 ただ、そうなった場合に、どういうことが起こるかというと、それは自然科学がよって立ってきた普遍性というものが崩れると思います。「赤い太陽」と「赤い赤い太陽」の違いの感じ方は、人によってみんな違うわけですね。ですから、その場合には、「私の好きな数学」というようなものが生まれるでしょう。「私の好きな小説」、「私の好きな音楽」、「私の好きな絵画」というものがあるのと同じように、自然科学の中でも「私の好きな数学はこれ」、そういう形でもって物事の記述がなされるでしょう。それでいいんじゃないんだろうかと思います。「私の好きな小説」というものがあって、それでもって多くの人に共通の感覚が生まれ、それによって人間の見方というものが深まるのと同じように、「私の好きな数学」という方法でもって、全部の人じゃなくたって、多くの人が、その物事を見る見方が深まる。そういうものが一方にあって、それとまた違うような数学が別にあったって構わない。お互いに「私の好きな数学では、世界というものはこういうものですよ」、「私の好きな数学では、人間というものはこういうものです」というような対話が、自然科学の言葉で語られるようになるだろうと、そういうふうに思います。

 ですから、また経済学の話に戻りますけれども、経済学の中で一番むずかしいのは、主観によって値打ちが違ってくるものをどういうふうに取り込むかということです。私と同じ研究室にいる郡司さんがこんなことをどこかで書いているんです。「我々は臓器を売ることに違和感を感じるけれども、臓器を無償で提供することには違和感は感じない」これは、経済学がやっていることと全く正反対のことですね。売る値段をつけるということが経済学を成り立たせているわけですけれども、それは私たちにとっては違和感。私たちにとっては、むしろ値段がない形でもって無償で提供するほうが違和感がない。そういう感覚で我々は実際に行動している。そういった手順でもって社会の全てがと言いませんけれども、社会が動いている。そういうところでの経済行為というのをどういうふうに記述していいのかということが、経済学の中では一つの問題になっていると思います。複雑系の科学の中でも、一つの問題としてそのように主観によって値打ちが決まるものをどのように取り扱っていくかということが問題にされながら、解決されないでいる。なぜ解決されないでいるかというと、それはやっぱり自然科学である以上、数学が基本ですから、その数学の中に「私」を取り込んだような数学がまだ確立されていないからです。それが生まれたときに初めて自然科学と、それから、人間科学とが融合するだろうと思う。現在はそういう融合がされていない。そういう方法がまだ見つかっていない。だけれども、そういう方向を模索している段階です。

 その中で、じゃ、組織として自然科学と人間科学とが一緒になった教育組織が、どういうことをしたらいいのか。研究者は夢を追っかけられます。ですけども、それを学生に押しつけることは、学生の将来にとっていいのかどうか、私はわかりません。私の研究室に来る学生には押しつけますけれども、それが好きで来る学生たちですから。そんな夢を、高校から入学したばっかりの学生さんに押しつけることはどうか、私もそれはためらいます。その場合には、方法論としては全く新しいものではないけれども、しかし、社会が要請し、学問としても内側からの観察と、それから、外側からの観察ということが、両方が行われるようになっている、そういった分野での教育を、強調するというような方法が一つあるのかなあ。そのへんのところはあとのディスカッションのところで、質問や提案がありましたら、ほかの先生方とのお話しをしたいと思います。以上。

平 川  どうもありがとうございました。伊東先生に、何か質問がありますでしょうか。ないようでしたら、また後半のディスカッションでお願いします。

 続きまして、佐藤有耕先生の講演にうつらさせていただきます。「総合型学部への期待に対するためらい」というテーマでお願いいたします。


All Rights Reserved, Copyright (C) 1998, Faculty of Human Development, Kobe University
目次に戻る