講 演3 小高 直樹 先生

「文系・理系の共同研究を可能にするもの ― 意識上の条件」

(1) あるテーマが共通のテーマとして共通に認識されていること。

(2) そのテーマに対して,強い関心と研究上の必要性を感じていること。

(3) 文系・理系の共同という研究形態に対して,興味と理解を有しているこ と。

 文系,理系の枠をこえた活発で質の高い共同研究を可能にするには,総合 型学部という組織編成上の条件ではなく,以上のような意識上の条件が整ってい ることがなによりも重要な前提である。逆に,このような条件が満たされてさえ いれば,共同研究の芽は,学部や大学という枠を越えて自然に発生するだろう。 結果として,それはプロジェクト研究という形態になる。

 一方,プロジェクト研究を推進させる上で,克服すべき問題もある。研究 費の確保や予算配分,プロジェクト全体の管理など,プロジェクトの運営に関わ る問題である。こうした問題の克服とともに,なによりもプロジェクトへの参加 が研究者にとってなんらかのメリットを持つような配慮が必要である。

 小高 直樹
  神戸大学発達科学部
  人間行動・表現学科
  造形表現論講座
  主専門分野:図形科学

小 高  発達科学部の造形表現論講座の小高と申します。私は,蛯 名先生,平川先生と同様,以前教養部で図学を教えておりました。図学と言いま してもご存じない方がたくさんいらっしゃると思います。英語で申しますとディ スクリプティブ・ジオミトリーと言いまして,画法幾何学というふうに言われて いるものです。4年前に発達科学部の方に配置替えになりまして,現在は,先ほ ど紹介のありました造形表現論講座というところで仕事をやらせて頂いておりま す。もちろん図学的なこともやっているわけですけれども,やはり領域を広げな いといけないという必要性も感じておりました関係で,例えば,最近では,数理 的な手法を用いて造形をする,私自身「数理造形」というふうに呼んでおります けれども,そういったテーマですとか,あるいは,私どもの学科では,実技系と 言いますか,芸術系の先生方もいらっしゃるということで,感性とか創造性とか いったようなものをキーワードにした,まだまだ内容的には質の低いものなんで すけど,そういった方向での研究も,いま少しずつやらせていただいているとい った現状です。

 今回のワークショップの趣旨は,「文系,理系共存型学部における教育研 究の在り方をさぐる」ということですが,私自身もう少し気楽に考えていて,こ んな仰々しい話しになろうとは全く思ってもいなかったものですから,実は,お 話しする内容はまだ決まっているわけではないんですが,とりあえず,この黄色 い紙に書いてありますように,ちょっと偉そうなタイトルなんですけれども,文 系,理系の融合研究,あるいは学際的な研究を可能にするものは何なのか,ある いはそれを阻害するものは何なのか,といったような問いをあえてしまして,そ のような取り組みを可能にする意識上の条件というものについていくつか私見を お話しさせていただきたいというふうに思います。

 先ほど来,理学部の伊東先生とか,佐藤先生から,非常に具体的で夢のあ る話しをお聞かせ頂いたんですが,条件というのはいろいろなレベルであると思 います。佐藤先生もおっしゃったように,非常に具体的な,例えば,制度の問題 ですとか,あるいは研究費の問題ですとか,あるいは負担が膨大になるとか,そ ういった現実的な壁をどのように克服していくのか,といったような視点からの 条件というのもありますけれども,ここで私がとりあえず強調したい条件という のは,そういう具体的,物理的な条件ではなくて,ここにも書いてある,ちょっ と抽象的な話しで恐縮なんですけれども,精神的と言いますか,意識上の条件と いうものをやはり強調したい。なぜこれを強調したいかと言いますと,きょう, 冒頭,蛯名先生の方からもありましたけれども,私自身,実際にこの総合型学 部,発達科学部の中に4年間おりまして,こうした試みが,こういう研究がいか に難しいかということを実感しております。で,なぜ難しいのかと考えてみます と,いろんなレベルで,いろんな面で問題点があるんでしょうが,私がもっとも 本質的な壁だと思うのは,やはり意識上の問題ではないかということなんです ね。

 じゃあ意識上の観点からどういう条件があるかと言いますと,二つ,三つ あると私は思っているんですけれども,先にちょっと結論めいた言い方をします と,この条件がクリアにされてなければですね,いかに組織の構成が文理の混成 型の学部であっても,そもそも共同研究とか学際研究といったようなものは成り 立ち得ない。逆に言えば,そういう意識上の条件さえクリアされていれば,べつ に学部という枠とか,あるいは大学という枠とか,あるいは企業ですとか,民間 の研究機関ですとか,そういう枠に関係なく,共同研究は成立し得るだろうし, 恐らく,みなさんの中には,個別に,既にやっていらっしゃる方もたくさんいる に違いないというのが私の実感なんです。

 それでは,その意識上の条件は何かということなんですけれども,お手元 の資料に概略書いてあるんですが,三つばかりあるのではないかと思っていま す。一つずつ順を追ってなるべく具体的な例を出しながら説明させていただきま すが,まず,これはもう当り前の話しなんですけれども,共同研究が成立するた めには,あるテーマ,あるいは問題意識というふうに置き換えてもいいと思いま すが,そのテーマが分野を超えて共通のテーマとして認識されているかどうかと いうことが,まず絶対に必要だと思うんですね。テーマというものは与えられる ものではありませんので,当然のことながら,意識の持ち方ですから,そのよう な意識がなければ,すなわち,あるテーマをテーマとして認識していなければ, そもそもテーマとして成り立ち得ないわけで,従って共同研究なんかあり得る筈 がないんですね。これはべつに今回のワークショップとは直接関係のない,一般 的に言えることですが。

 二番目,三番目あたりが,特に強調したい点なんですが,かりに,あるこ とがらを共通のテーマとして共通に認識しているとします。しかし,そのテーマ に対して,研究者が強い個人的興味を持っているか,また研究上の必要性を感じ ているかどうか,ということが次に非常に大きなポイントになると思います。私 個人に絡めてちょっと具体的なお話しをしますと,例えば,先ほど私は造形表現 論講座というところにおりますと申し上げたんですが,そこには,いわゆる理 系,文系の先生方もいらっしゃいますし,それから実技,芸術系の先生方もいら っしゃるわけですね。私自身について言えば,芸術家,例えば画家でも彫刻家で も,あるいは音楽家でも演奏家でもいいんですが,そういった芸術家がものをど ういうふうに認識しているんだろうか。ものを作ったり,作曲したりしていくそ の思考プロセスは一体どういうものなんだろうかといったことに関して,個人的 に非常に興味があるわけです。こういうものを掘り下げていくときに,例えば, 文学部の哲学科,美学科などで作家論といったようなアプローチがなされている のかどうか,私はよく知りませんが,そういう方法もあるでしょうし,あるいは 表現者主体の思考プロセスという観点から,認知心理学的なアプローチも可能じ ゃないか。あるいは,先ほど少しお話しに出たかもしれませんが,脳科学的なア プローチもあるかもしれない。また,よく心理学でイメージの分析に因子分析な どがよく使われておりますけれども,そういった方法もあるでしょう。個人的に は,そういういろいろな方法論を総動員して,芸術家というものが,どういうプ ロセスでものを考えて創作しているのか,なにか問題に出会ったときにどういう ふうにしてその解決に当たっているのか,といったあたりのことを多面的に知り たいと非常に興味を感じているわけです。先ほどお話ししました一番目の条件と いうのは,この例で言いますと,「芸術家の思考のプロセスはどうなっているの か」といったような問題意識をもつ者が領域を超えて複数存在するということに なります。

 話を戻しますが,共通のテーマをテーマとして認識し,個人的にも強い関 心を抱いている者が領域を超えて複数いたとします。ところが,二番目の条件の 後半に書いてあるように,研究上の必要性を感じているかどうかということなん ですが,ここが非常に難しいわけです。個人的な興味からいざ実行に移そうとな ると,まず最初の壁が,先ほど佐藤先生のお話しにもありましたように,膨大な エネルギーが要求されるということですね。本来自分がやっているテーマもあり ます。それから,授業とかゼミ生に対する研究指導もあるわけですよね。共同し て研究をやっていこうとすれば,当然,みなさん大変お忙しいところを声を掛け たり,打ち合わせなどの調整もしなくてはならない。首尾よくプロジェクトを立 ち上げてもそれをきちんと運営していかないといけない。そういうことを具体的 にやっていくということは,ちょっと想像するでけでも卒倒しそうになる。その エネルギーを投入してまでもそういうことをやろうという強い覚悟があるかどう かというと,正直言って,しりごみせざるを得ないわけですね。これは物理的な 障害なんですが,意識の上でドライブを駆けない要因もあるわけです。これが結 構重要だと思うんですが,例えば,芸術家はどういうふうに考えてものを作って いるのかということに興味がありますけれども,それをやらないからといって, 私自身が首になることはないわけですよね。本来自分がやってきたことを今後も 引き続きやっていく。また,そこでやるべきテーマもある。それが本来の職務で あって,それをやっていれば,だれも何も言わない。極端な言い方をすれば,領 域をこえた共同研究をやらなければ,自分の研究者としての存在理由,存在基盤 というのがなくなるんだといったような切迫した状態ではないわけですね。です から,あえて,そんな冒険とか,あるいはエネルギーを投入してまでそういうこ とをやろうかと現実的に考えると,やはり二の足を踏んでしまって実行の段階に 移れないといった状況があると思います。したがって,先ほどの伊東先生のお話 しで全くそのとおりだと思いましたのは,例えば複雑系の科学。結局,それに取 り組んでいかざるを得ない,そうしなければ,もうどうしようもないところまで きている。経済学の領域でも自然科学の領域でも,そのような壁を感じ,なんと かしなければならないと考えているような研究者にとってみれば,やはり絶対的 な研究上の必要性を痛感しているということがあると思うんですね。ところが, そういう必要性をべつに感じていないし,期待もしていないと思っている限りに おいては,そもそもそういう意識が出てこない。ましてや,共同研究もしかり で,否定的にすら見てしまう。共同研究や学際的研究が絶対的にいいとか悪いと か,といった話ではなくてですね,学際的な研究が成立するとすれば,少なくと もそういった研究上の必要性を個々の研究者が感じているという条件が満たされ ていなければならないと思います。

 それから,三番目ということなんですけれども,たしかに共通のテーマで あると認識をして,非常に強い興味,動機もある,さらに研究上の必要性も感じ ているとして,そういう新たなテーマに取り組んでいくときに,果たして文系, 理系の共同研究が有効なのかという問いかけがあるわけですね。個人,あるいは 同じ領域の他の研究者と共同でやっていってもいいわけですね。そこで私が思い ますのは,文系,理系の枠を超えてと言うときに,そもそも文系,理系の定義は よくわかりませんが,文系の人が理系の人に対して持っているイメージ,また理 系が文系の人に対して持っているイメージというものがありまして,生理的,感 情的に毛嫌いしているところが多分にあると思うんですね。そうではなくて,あ るテーマに取り組んでいくときに,他領域,文系の人は理系の人,理系の人は文 系の人,あるいは芸術家,そういう他領域における取り組みとか,方法論とか, ものごとの考え方というものに対して,ちょっと表現がいいかどうかわかりませ んが,少なくとも互いに,一緒にやっていくことに対する寛容さと理解が必要で はないでしょうか。いろいろ問題がある,それぞれの方法論には一長一短があ る,しかも従来自分たちがやってきた方法ではなかなかうまくいかない,説明が つかない。であれば,うまくいくかどうかわからないけれども,とりあえず手を 組んでやってみようかというほどの,寛容さと,その共同研究に対する理解とい うものが,やはり必要ではないかというふうに思うわけですね。こういう意識が 必要じゃないかと思うのです。

 具体的な例と言いながらもあまり具体的でもなかったんですが,以上三点 をもう一度整理してみますと,理系・文系融合型の共同研究が成立するための意 識上の条件として,まず,異なる領域の複数の先生方が,あるテーマを共通のテ ーマとして認識していなければならないという当り前の話。次に,そういうテー マに対して非常に強い興味と関心を持ち,同時にどういうものであれ,それをぜ ひやらなくちゃいけないという研究上の必要性を感じているかどうかというこ と。最後に,そういうテーマに共同で取り組もうとするときに,うまくいくかど うかわからないけれども,理系・文系の共同研究を否定的に見ないで,その有効 性は10年,20年,30年後に歴史が証明するものだから,まあとりあえず手 を組んでやってみようよ,といった寛容さと理解をもっているかどうか。こうい うふうな意識上の条件というものが,まず満たされていなければいけないと思い ます。もちろんこれだけですべてうまくいくということは当然ありませんが,少 なくともこの意識上の条件が整っていればですね,冒頭申し上げましたように, それは,なにも発達科学部という枠にこだわる必要もなく,他学部や他大学,民 間の研究期間と一緒にやれるものであろうというふうに思うわけです。

 そういう前提で,どのような研究形態がいいのだろうかといえば,必然的 にあるいは現実的に考えますと,プロジェクト研究といったような形態にならざ るを得ないと思いますね。これは先ほどから,何人もの方がおっしゃっているよ うに,そもそもこの学部の組織というものは,はじめに理念ありきでできたわけ でなく,たまたま結果として,いろいろな文系,理系の先生方がいらっしゃった わけで,それぞれが風呂敷を広げて横を見ていないというのが現状なわけです ね。そのような状況で,いくら「べき論」を振りかざしても難しいわけです。た だ,先ほど申し上げたような意識上の条件をクリアしている人がいれば,おのず とそのような集団ができて,自然発生的にプロジェクト研究が立ち上がる,少な くともその可能性はあると思いますし,またそこに期待するしかないと考えま す。

 というわけで,プロジェクト研究という形態にならざるを得ないとして も,次の段階の問題として,今度は現実的,物理的な問題があると思います。そ のあたりは,先ほど佐藤先生が詳しくおっしゃって,私もほとんど同感です。精 神論ばかりではこういう研究はできないわけですから,こういうプロジェクト研 究的なものにエネルギーを投入してまでもやってみようと思わせる何らかの具体 的なメリットがなければなかなか難しいと思いますね。実際,私の置かれている 状況を考えますと,委員会など学部運営の仕事も当然ありますね。教育もある, 授業のコマ数も週当たり7個も8個もあるわけです。研究費だって年間高々百万 円ぐらいしかない。そういう問題もある。足らない研究費は,受託研究とか科研 費などから取ってこないといけないわけですけれども,そのためには,どういう 形であれ,実績を出していかないといけない。じっくり腰を据えてやりたいと思 っても,そういういろいろな阻害要因がありますし,さらにそういう取組みに対 する冷ややかな視線もあって間接的なバイアスになっている,そういう状況の中 で,やっていくのはいかに大変か。研究費というハードの問題と,それから前に も触れましたプロジェクトの運営の問題や負担増大などのソフトの問題とか,そ ういった予想される具体的な状況でのいろいろな条件もクリアにしておかない と,当然精神論だけではやっていけないだろうと思います。このあたりのお話し はおそらく,この後のディスカッションで出てくるのかもしれませんが。

 いずれにしても,文系・理系の枠をこえた学際的な共同研究が行われるた めのもっとも基本的で重要なことは,先ほど来申し上げてきたような,意識上の 条件がクリアにされているかどうかという点であって,そのような条件を満たし ている人は,このようなワークショップを開くまでもなく,実は既にものごとを 進めているんじゃないかと思うわけです。ですから私個人としては,最後に申し 上げたような,すなわちプロジェクト研究を立ち上げようとしたときに想定され るさまざまな現実的な障害をどういうふうに取り除いていくのか,どういう工夫 が必要で何が可能なのか,個人がプロジェクトに参加しようと思うような何らか のメリットをどう保障していくのか,といったところでいろいろなアドバイスが このあとの議論で得られたら大変有難いと思っています。少し早いかもしれませ んが,私のお話しは以上です。どうもありがとうございました。

平 川  どうもありがとうございました。小高先生に何か質問ござ いますでしょうか。

 それでは、第4番目の講演に移らせていただきます。教育科学論講座の三 上先生、よろしくお願いいたします。


All Rights Reserved, Copyright (C) 1998, Faculty of Human Development, Kobe University
目次に戻る